働くこと、時々、自律神経のことを考える。

転職マニア&Tポイント収集家。著者はADHD発症中の登録販売者です。働くこと、薬と健康のこと、雑記もあります。

(;・∀・)岡本花子のプロフィール

仕事中毒人間、我に返る。

10年位前、田舎じゃ、そこそこ大きい会社で正社員として働いていました。

 

ポジションも、やりがいも、かなり充実した会社だったと思います。

 

f:id:hanak50kamoto:20180622100441j:plain

みんなが「会社のために…」と忠誠し、忠義心に支えられた会社でもありました。

 

忠義心なので8時間勤務以外は無償奉仕です。毎日会社に、15時間くらい拘束されていました。今思えば、ワーカーホリックという病だったと思います。

 

ワーカホリック(仕事中毒)とは、

生活の糧を得る手段であるはずの仕事に私生活の多くを犠牲にして打ち込んでいる状態を指す言葉です。仕事に打ち込むあまり、家庭や自身の健康などを犠牲とするような状態。(ウィキペディア参照)

 

仕事に没頭してしまうあまり、家庭では廃人で。ダメダメ人間。

 

仕事でADHDの過集中現象がおきていたと思うので、それが切れた後は、残骸のような日常でした。(そのころはまだ、自分がADHDだったことを知りませんでした。)

 

 

今思うと、旦那さんや子どもたち、こんな私によく耐えてくれたと思います。

 

離婚されてもおかしくないくらい、仕事8割、睡眠2割、家庭はゼロって割合。こんな生活が数年、太陽を全くみない日々がつづいて。

 

38歳を越えたころから偏頭痛で、おきているのがつらい状態になりました。多分、ウツの初期状態だったのではないかと思います。

 

そんな頃、東日本大震災がありました。

 

私は、福島県の原発地帯から100キロ圏外のド田舎に私は住んでいます。原発避難区域から多くの方々が避難してきました。

 

未曾有の災害で…。なにを差し置いても、仕事第一だった私の思考にも天変地異が起きました。40歳を目前という時期も、気持ちを変えることに大きく関わっていると思います。

 

過去記事~40代はどうしてこんなに不安なんだろう~

 

転職してみる。

 

定年まで、この会社で働くんだろうな…と、漠然と思っていました。けど、頭の中のシャボン玉がパチンと割れたように、はっと目が覚めた感覚になりました。

 

人生100歳時代。私の100歳までの人生、会社が面倒みてくれるわけじゃないし。

 

ふと、見かけた求人募集。衝動的に申込…、あれよあれよと決まっていき、採用決定

 

決まったのは役場の非常勤公民館指導員。しかも任期3年。雪が2メートルくらいつもる山の奥の場所。ホワイトアウトで前が見えない日が年に数日あります。

 

退職することと、次の仕事の勤務地に、本人もビックリ!家族もビックリ。会社の人々はもっと( ゚Д゚)ビックリだったと思います。だって、採用試験の応募書類、勢いに任せて書いちゃったので…。何事も決まれば、事は早く進むものです。

 

同僚たちは、「40歳ちかくで正社員を捨てて、任期付き非常勤で働くなんて…大丈夫?」と、円満退社ではあるけれど、安定した職(?)をすてる私を、真剣に心配してくれました。

 

過去記事~アットホームな会社が苦手は、コミュ障?~

 

引継ぎ業務もあるので、会社には2か月半くらい前に退職の意思を伝えたと思います。当時の上司には「任期が終わって、戻ってきたかったら、その時は戻ってこいよ。」と言っていただきました。本当にありがたいです。

 

仕事を辞める不安よりも、退職する前までに引継ぎ事項を完結させることで、頭がいっぱい。不安とか言っている暇がありませんでした。

 

転職して驚いたこと。

いざ、転職して驚いたことは、異国に来たくらい世界がかわるってこと。仕事中毒人間=プライベート廃人が、プライベートの存在に気付くことは、ヘレンケラーが「ウォーター」に気付いた時の衝撃に近いと思います。

 

今まで、仕事のことしか頭になかったので、休日に子どもたちが話しかけてきても「お願い、眠らせておいて…。」と、気力&体力的に一緒に遊ぶことができませんでした。

 

定時で帰って、夕飯食べて。
日没が長くなる初夏には、夕飯後に子どもたちと庭でバレーボールをしたり、スケボー乗ったり。下手っびな私が遊びに参加することで、盛り上がりが違うみたい。

 

スケボーなんて、今までやったことがないから子どもたちが乗り方を教えてくれて、一緒に競争したり。仕事が終わっても、子どもたちと一緒に動く力笑う力が、私の体に残っていることに驚きでした。

 

f:id:hanak50kamoto:20180622100525j:plain

仕事も一変しました。

公民館の仕事に就いて、保育園児と畑つくったり、じいちゃんたちとカローリング(カーリングの体育館版)の競技大会をしたり、夏休み子どもたちと体験教室をしたり。

 

毎日、笑って。保育園児と作った作物が実れば、感動して。園児たち一緒に食べて、園児とおしゃべりして。ワーカーホリックだった私には、こんなふうに笑って収入をもらえる仕事や、こんな人生もあるんだと、目からうろこの日々でした。

 

過去記事:~公民館の経験を語って、2時間8000円の収入にした話~

 

転職マニア?副業マニア。

 どうせ正社員の職をすてたなら『副業禁止』をとやかく言われる筋合いもなくなった訳だし、空いた時間にいろいろ体験してみようとダブルワークもしてみました。

 

共同通信社の選挙時の出口アンケート調査員
日給12000円

 

大学センター試験当日 出口前チラシ配布

半日で7000円

 

ブライダル展示会、引き出物の成約係
歩合1件800円

 

パソコンインストラクタ(Excel&word専門)
時給750円。月3万円程度

 

ファミリーサポートセンター事務局の補佐
時給800円。頼まれたとき。

 

年賀状の宛名入力=知人から依頼
300人分=3000円

 

早朝、農協へ野菜の出荷(実家)
現物支給、野菜、コメなどなど。

 

布草履、カゴバック制作講師(公民館主催)
3時間 5000円~8000円

 

布草履の販売(フリーマーケット)
1足1500円×6足=9000円

 

有償ボランティアのスタッフ
時給800円

 

3年間、公民館指導員をしながら、いろんな仕事を体験しました。

 

過去記事:~ダブルワークのリスク~

 

この経験は「60歳をすぎた定年後、どう生きていけばいいんだろう。」という不安を打ち消してくれました。会社に属さずに収入を得こと、仕事の仕方、生き方があることを実践できたからだと思います。

 

ちなみに今までのバイト数々。 

それ以外に今まで、やったことある仕事をざっと書いていきます。

 

ラーメン屋定員…半年くらい。 掃除婦…お掃除コンパニオンという不思議なしごとだった。 コンパニオン(芸者?)…友達のお母さんが元締めで、20歳くらいの時、数回手伝いに行った。変なところに所属してしまうと当時はお持ち帰り要員にされてしまったらしい。 スナック…短大生のころ1年くらい働いた。 パチンコ屋定員…18歳の時、3か月くらい。タバコ臭くて無理だった。 今で言うチャットレディ(20年前はQ2レディー)…短大の頃、時給1500円くらい。 CMエキストラ…4時間ぐらいで5000円だった。 セミナー講師…短大卒業後、初の就職先。 化粧品美容部員…歩合&ネットワークビジネス。親戚に引きずり込まれた。 消費者金融スタッフ…ティッシュ配布係。

 

これらは、18歳~20歳(超バブル時代)に経験したバイトです。 

 

公民館指導員の任期満了のその後

NPOスタッフ・貧困者支援&震災復興支援を1年。
やばい企業に1か月在籍。入社して1週間で退職届。怖かった。

 

そして無職…。職業訓練所へ。6か月の大工の訓練とCADオペレーター実技を取得。45歳くらいまで職探しという自分探しをフラフラとしてました。

 

登録販売者になるまで。

 

突如、このド田舎にドラックストアができました。そこにはデカデカと『登録販売者募集中』と求人募集の貼り紙がありました。

 

「登録販売者とは何だ?!」

 

調べてみると ニーズが高く、就職・転職にも有利な注目資格

ドラッグストアや薬局などで一般用医薬品(かぜ薬や鎮痛剤など)の販売ができる医薬品販売専門資格の国家試験。合格率6割。 独学で合格可。

 

気持ちが前向きになっていたので、全く経験もないのに、挑戦してみたくなりました。決意して勉強し始めたのは国家試験3か月前。なんだか根拠のない自信があって。

 

ADHDの方なら理解できると思うのですが、自分が得意分野だと思ったことは猪突猛進になってしまう傾向があると思います。

 

そんなガムシャラな勉強が身を結び試験を突破。試験は年々難しくなる傾向にあるようですが、福島県合格率49.3%、新潟県合格率32.4%の2県を合格することができました。

 

過去記事~過集中するADHDが「試験突破法」を提案する~


 今後のブログでは、少しづつ市販薬情報、健康情報を取り上げていきたいので、ただいま勉強中です。

 

今、近所のドラックストアで登録販売者として、夜勤専属スタッフとして働いています。

 

なぜ、夜勤専属なのか…。それは時給が他のパートと比較にならないくらい、いいから。そこは転職マニアの譲れないポイントです。(^_-)-☆


過去記事~バイトの選択について息子と議論した話。

 

ADHDの通院をする

 

これまでの職歴や、突発性で無計画な行動を思い起こしただけでADHDの要素たっぷりな私。ネットでの『ADHD自己チェック』でも、満点をたたき出しています。

 

別に通院しようとは全く思っていなかったのですが。

 

登録販売者としてドラックストアに働き始め「ドジった!」では、すまされない事態が発生しました。

 

店長からの指摘。

「あなたは賞味期限のチェック漏れなど、ミスがとてつもなく多い。そのミスは店の信用問題になりかねない事態です。

 大変失礼かもしれないけど…、あなたはそういう障害なのではないかと…。一度、病院で診察してもらった方が、店としてもアナタの得意分野を活かした適正配置を考えやすくなるんだけど。」

 

過去記事~同僚が発達障害らしい…。どう対応する?~

 

登録販売者の資格をもっているということは、ドラックストアの店舗管理者(店長代理みたいなもの?)になれてしまうんです。ゆくゆくそういう管理者になってしまうことを心配して、店長が提案してくれたんだと思います。

 

通院して、ADHDと診断され現在は、精神障害者保健福祉手帳 3級を取得しました。会社では、店長&人事と相談して、障害者雇用枠ではなく、一般枠で働いています。

 

過去記事~ ADHDなのか?はっきりさせる話~

 

長いプロフィールとなりましたが、ブログでは

①転職、仕事のこと
②市販薬、健康グッズのこと
③ADHDの特性、薬、体調のこと
④50代・60代が知れば便利なこと
⑤こどものこと

こんなことを、ゆる~く書いていこうと思います。

 

過去記事~はてなブログPROにして1年の感想~

 

よろしければ、読者登録いただきますと励みになります。

今後ともよろしくお願いします。
 <(_ _)>

 

岡本 花子(不器用上等) 2018年6月20日

 

 

追伸:Google様のアドセンス審査に落ちてしましました。再度挑戦するため、ポチポチ修正中です。そろそろ、Google様に気にいられたいです。

 

 

 

 

 

 

follow us in feedly